2007年09月20日

荀子

#最近、心理学の研究から、中国古典にはまっています。


今回は、荀子。儒家で法家。論語(孔子)、韓非子と読んできたのですが、今から2300〜2500年も前から、人間の心は進化していない気がします。孔子は、エニアグラムタイプ1の理想主義者。荀子は、教師兼現場主義者。韓非子は教育はあまり考えずに徹底した現場主義者と感じました。今の時代に読んでも、王や君主を【リーダー・上司・社長】、臣下を【部下・後輩】と読み変えると、多くの示唆を含んでいることと思います。時代背景の違いなどもあると思いますが、私はそれぞれのいいとこ取りをして実践しようと思います。


<荀子より 心に残った部分>

 

(性悪より)
人間は誰でも、生まれつき欲望を持っている。たとい聖人だろうと例外ではない。その欲望は、やり方によってはコントロールすることができるのだ。天性を矯正するものは、礼と儀だ。

 

(王制より)
人物を見極めて対処すること
有能な人材は、序列にこだわらずどんどん抜擢する。無能な者は、さっさとクビにする。手の施しようのない悪人は、いくら教育しても無駄だから、死刑に処する。しかし、一般人民は刑罰を加える前に強化につとめるべきだ。

 

(臣道より)
臣下というものは、4つに分類できる。
実のない臣下、国を乗っ取る臣下、役に立つ臣下、理想的な臣下、この4つである。理想的な臣下とはどういう臣下か?どこまでも君主の権威を高め、民衆を大切にする。正しい政治によって強化するから、民衆は、まるで影が形にそうように、その指導についてくる。どんな思わぬできごとにも、打ては響くように、手際よく措置を講じてしまう。

 

「すなお」と「へつらい」の違い
君主の利益になるように、命令のままを実行する臣下、それがすなおな臣下である。君主の利益にならない命令でも、ハイハイと聴く臣下、それがへつらう臣下である。たとえ命令にさからってでも、君主の利益をはかる臣下、それが忠臣である。命令にも従わないし、君主の利益も考えない臣下、それが逆臣である。

 

名君、凡君、暴君に対する仕え方の違い
理想的な君主に対しては、臣下はただ従うだけでよい。苦言を呈するようなことは何もないのだ。ごく平凡な君主に対しては、臣下は時に苦言を呈しなくてはならないが、ご機嫌とりをする必要はない。だが、相手が暴君なら、臣下はただ君主の失策の尻拭いばかりをするばかりで、相手の欠陥を正そうとか、施政を補佐しようとか試みる余地はない。

 

暴君操縦法
暴君には、どう使えればよいか。うまく折り合ってはゆくが、相手の流れにまきこまれないことだ。おとなしく出はするが、信念はまげないことだ。無理をいわれても逆らわないが、不正なことには手をかさない。そして、角が立たぬようにうまく切り出し、最善の方法を悟らせてやる。こうして君主を感化しながら折に触れて進言する。もし君主の欠点をなおしたければ、相手の不安を利用すればよい。もし方針を変えさせたければ、相手の悩みを利用すればよい。また、君主としての心得を悟らせるには、相手の喜びを利用すればよく、とりまきの小人どもを追い出すには相手の怒りを利用すればよい。この方法さえ、こなせれば君主は臣下の思いのままになる。


※私は【めんどくさい人】との関わりを避けて生きてきたが、必要なときもあることを感じている。これを実行するには、もの凄い人間観察とスキルを要する。もっと頑張らねば。

 

議兵より
兵法は駆け引き(いわゆる戦略)だというのはまちがえだ。人民の心を掌握するものこそ、本当の戦上手なのだ。
※現代風に言えば、小手先のテクニックよりチームワークということか?

 
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青はこれを藍より取りて、藍より青し の作者。
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[ 編集 ] posted by oda at 04:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本紹介:リーダー
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